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福岡地方裁判所直方支部 昭和41年(ワ)66号 判決 1970年1月21日

原告

川原正隆

ほか一名

被告

浪速運送株式会社

ほか一名

主文

被告両名は連帯して、

(一)  原告川原正隆に対し金五七〇万八九五六円ならびに内金四〇〇万円に対しては被告浪速運送株式会社は昭和四一年九月三〇日から、被告阿部健二は同年一〇月一日から各完済まで、内金一七〇万八九五六円に対しては被告両名共昭和四三年一〇月二日から右完済まで各年五分の割合による金員

(二)  原告川原輝雄に対し金一〇〇万円ならびにこれに対し被告浪速運送株式会社は昭和四一年九月三〇日から、被告阿部健二については同年一〇月一日から各完済に至るまで各年五分の割合による金員

の支払をせよ。

原告川原正隆のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告両名の連帯負担とする。

第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一、双方の申立

一、原告ら訴訟代理人は「被告両名は連帯して、原告川原正隆に対し金五八〇万一九五六円、原告川原輝雄に対し金一〇〇万円ならびにこれらに対する本訴状送達の翌日から右完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告両名の連帯負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求めた。

二、被告ら訴訟代理人は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求めた。

第二、双方の主張

一、原告らの請求原因

(一)  (本件事故の発生)

原告川原正隆(以下原告正隆という)は、昭和三九年八月二四日午後二時三〇分頃被告阿部健二(以下被告阿部という)運転の営業用貨物自動車(大き一二―六一号)(以下事故車という)に同乗中、鳥取県東伯郡羽合町宇野国道九号線において、右自動車が前方左端に駐車していた大型トラックに追突したため、第二腰椎脱臼骨折兼背髄損傷の傷害を蒙つた。

(二)  (事故の原因)

本件事故は、事故車を運転していた被告浪速運送株式会社の運転手被告阿部が前方注視を怠り駐車中の前記大型トラックの発見が遅れた過失により惹起されたものである。

(三)  (被告浪速運送株式会社の地位)

被告浪速運送株式会社(以下被告浪速運送という)は、当時事故車を所有し自己のために運行の用に供する者であつた。

(四)  (損害)

(1) 原告正隆の損害

原告正隆は、前記傷害により直ちに鳥取県倉吉市内の病院に入院、昭和三九年一〇月九日尼崎市所在の関西労災病院に転院したが、右傷害により第七胸髄節以下の運動および知覚麻痺、直腸および膀胱障碍ならびに両下肢の自動運動の完全欠損の後遺症を生じ、好転する兆もないので巳むなく同四〇年一二月一七日同病院を退院して父母の下に帰郷しその看護を受けていたが、まもなく発熱、食慾停止などの症状が生じたため同月二五日直方市所在の西尾病院に入院、同四一年三月一〇日北九州市小倉区所在の小倉労災病院に転院し、今日に至つているが、依然として治療の見透しはなく、一生病棟に横たわり、日常の用は勿論のこと食事、用便など凡て他人の手を借りなければ生活できない境遇に置かれるに至り、その結果、次の損害を蒙つた。

(イ) 喪失利益合計金一八〇万一九五六円

(A) 原告正隆は、昭和一五年一一月二三日生の健康な男子で、事故当時被告浪速運送の自動車運転手として就労し、平均賃金日額金一〇八五円の給与を受けており、(一ケ年三九万〇六〇〇円となり)今後満六〇歳までは運転手として同程度の収入を得ることができたのに本件事故により労働能力を完全に喪失したため、その収入を失うに至つた。

(B) 昭和三九年八月二七日から同四二年九月三〇日までの喪失額金四八万七八一六円

原告正隆は右期間に労災保険金として合計金七三万一七二四円を受領しているが、右金額は同原告の得べかりし給与額の六〇パーセントにあたるから、右期間に同原告が喪失した利益は73万1724円×40/60=48万7816円となる。

(C) 昭和四二年一〇月一日から原告正隆の満六〇歳になるまでの喪失額金一三一万四一四〇円

原告正隆は、昭和四二年一〇月一日において年令二六歳一〇月となり、就労可能年数は後三三年二ケ月となるところ、同原告は右期日以降労災障害補償年金として一ケ年金二八万五一三八円を受給することとなつているので、これを前記一ケ年間の三九万〇六〇〇円の収入より控除した残額一〇万五四六二円が一ケ年間の喪失額であるから、この三三年分を計算すると10万5462円×33=348万0246円となり、右喪失額につき年五分の割合による中間利息を控除して現価を求めるに348万0246円×0.3776=131万4140円となる。

(ロ) 慰藉料額金四〇〇万円

前記後遺症の程度からして原告正隆の蒙つた精神的苦痛を金銭に換算すると金四〇〇万円が相当である。

(2) 原告川原輝雄の損害金一〇〇万円

原告川原輝雄(以下原告輝雄という)は、原告正隆の父親であるが、長男である正隆が前記傷害を受けて廃人となり、しかも、いつ前記後遺症によつて死亡するやも知れない現状にあり、その精神的苦痛を金銭に換算すると金一〇〇万円が相当である。

(五)  (結論)

よつて、被告阿部健二に対し民法七〇九条、被告浪速運送に対し自賠法三条、予備的に民法七一五条に基づき、被告らは連帯して原告正隆に対し金五八〇万一九五六円、原告輝雄に対し金一〇〇万円ならびにこれらに対する本訴状送達の翌日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、請求原因に対する被告らの答弁

(一)  被告浪速運送

(1) 請求原因(一)の事実中、原告ら主張の日時場所において事故が発生し、原告正隆が受傷した事実は認めるがその余は不知。

(2) 同(二)の事実中、被告阿部が当時被告浪速運送の運転手として雇用されていたことは認めるが、その余は不知。

(3) 同(三)の事実は認める。

(4) 同(四)の(1)の事実中、原告正隆が事故後倉吉市内の病院に次で、関西労災病院に入院し、昭和四〇年一二月一七日退院帰郷したことおよび原告正隆が被告浪速運送の運転手として雇用されていたことは認めるが、その余の事実は不知。

同(四)の(2)の事実中、原告輝雄が原告正隆の父親であることは認めるが、その余は不知。

(5) 同(五)の主張は争う。

(二)  被告阿部

(1) 請求原因(一)の事実中、原告正隆の傷害の程度を除き、その余の事実は認める。

(2) 同(二)の事実は否認する。

(3) 同(四)の(1)の事実中、原告正隆が事故後倉吉市内の病院に、次で尼崎市内の関西労災病院に入院加療したことは認めるが、原告正隆の年令および収入は不知。その余は総て否認する。

同(四)の(2)の事実は否認する。

(4) 同(五)の主張は争う。

三、被告らの抗弁または主張

(一)  被告浪速運送

(1) 被告浪速運送は、次の理由から原告らに対し自賠法三条に基づく賠償責任も、また民法七一五条に基づく賠償責任も負わない。

原告正隆および被告阿部はいずれも事故車の運転手であり、本件事故当時被告阿部が事故車を運転していたというものの、原告正隆もこれに同乗し運転者の資格を失つていなかつたものであるから原告正隆は自賠法三条所定の「他人」および民法七一五条所定の「第三者」には該当しない。

(2) 仮に、右主張が認められないとしても、次のとおり本件事故につき原告正隆に重大な過失があるから損害賠償額の算定につき斟酌すべきである。

原告正隆と被告阿部は本件事故車の運転手として乗車していたが、使用者である被告浪速運送としては、原告正隆が被告阿部より運転経験が長く、また、運行順路の事情にも通じていたところから、原告正隆を正運転者、被告阿部を副運転者と定めており、したがつて、原告正隆としては、被告阿部の運転中は同人の運転技術の指導ならびに事故発生の危急時においては適切な指示等をなしうるよう常に注意を怠るべきでないのに拘らず、右義務を怠り本件事故当時は助手席で仮眠していたため、却つて、被告阿部がこれに瞬間的に誘われて眠気を催して前方の注視が疎かになり本件事故が発生したものであり、しかも、仮眠中であつたため原告正隆は衝突時における本能的避難措置をとることができず、傷害の程度を増大する結果となつた。

(二)  被告阿部

(1) 被告阿部は原告正隆に対し、昭和三九年九月一九日に金二〇〇〇円、同四〇年六月七日に金一万円、同年九月二〇日に金五万円、労災病院退院時に金一万五〇〇〇円、同四一年二月から九月まで毎月二〇〇〇円合計九万三〇〇〇円を支払つた。

(2) 本件事故は、次のとおり原告正隆の過失に基因するから、損害賠償額の算定につき過失相殺を主張する。

被告阿部と原告正隆は、被告浪速運送の運転手であるが、事故当時は、大阪から松江までの運行予定で運転経歴の長い原告正隆が正運転手となり、被告阿部が副運転者となつたが、運転担当コースは正運転手が決定することになつているところから、右運行についても原告正隆が決定した。その際、原告正隆としては自己が運転経験の長く、しかも右コースの事情を充分知つていたのであるから、自己がよい道路を運転して、休息する被告阿部に充分睡眠をとらせて疲労させないよう気をくばるべきであつたにも拘らず、この配慮を欠き大阪出発の午後七時から事故当日の午前二時まで道路のよい大阪、鳥取間を被告阿部に運転させ、自己が比較的道路の悪い鳥取、松江間を運転したため、睡眠不足となつた被告阿部が帰途の運転中に本件事故を惹起したもので、これは原告正隆の重大な過失に基づくものといわざるをえない。

四、抗弁等に対する原告らの答弁

被告浪速運送主張の事実中、本件事故が原告正隆において、事故車の助手席で仮眠中に惹起したものであることは認めるが、その余の事実は否認する。

第三、証拠〔略〕

理由

一、(本件事故の発生)

原告正隆が被告阿部運転の事故車に同乗中、昭和三九年八月二四日午後二時三〇分頃、鳥取県東伯郡羽合町宇野国道において発生した事故により受傷したことは各当事者間において争いなく、また、〔証拠略〕によると、右事故は、事故車が前方に駐車していた大型トラックに追突したためであり(右事実は原告らと被告阿部間には争いがない。)、その結果、原告正隆が第二腰椎脱臼骨折兼脊髄損傷の傷害を蒙つたことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

二、(事故の原因)

〔証拠略〕によると、本件事故は、事故車を運転していた被告阿部が疲労と睡眠不足のため前方注視を怠り、その結果進路前方左端に駐車中の大型トラックの発見が遅れたために惹起されたものであることを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

三、(被告浪速運送の責任)

被告浪速運送が、本件事故車を所有し自己のため運行の用に供していたことは、被告浪速運送と原告間に争いがない。しかし、被告浪速運送は、原告正隆は自賠法三条にいわゆる「他人」に該当しないと主張するので検討する。

〔証拠略〕によると、原告正隆は昭和三八年一〇月一〇日に、また、被告阿部は同三九年五月にいずれも、被告浪速運送の運転手として入社し勤務していたものであるが、両名は、同社の命を受け、原告正隆を正運転手とし被告阿部を副運転手として、大型貨物車を運転し昭和三九年八月二三日夜出発して松江市まで金庫室の鉄扉を運搬したうえ同月二五日午前中に帰社することとなつた。そこで、原告正隆は被告阿部の承諾の下に、交替運転の区間につき、まず、大阪から鳥取までを被告阿部が、次で鳥取から松江までを原告正隆が各運転し、帰りは、その逆に、松江から鳥取までを被告阿部が、鳥取から大阪までを原告正隆が各運転することとし、また、所要時間の関係上直ちに折り返し運転をせねばならないところから、一方が運転中は他方は助手席で仮眠して当番時間に備えることとして、昭和三九年八月二三日午後七時三〇分頃、本件事故車に金庫室の鉄扉(二屯)を積み込み、被告阿部が運転して出発し、途中鳥取で原告正隆が交替し翌二四日午前七時一五分頃松江市に到着したものの、届け先を探すのや、右荷物をおろすのに時間がかかつたため、仕事終了後直ちに被告阿部が運転を交替して帰途につき、途中米子市で昼食をとり再び被告阿部が運転を続けた。そして、同車は同日午後二時頃時速約五〇粁で本件事故現場附近にさしかかつたがその際、原告正隆は鳥取からの運転に備えて仮眠していたところ、被告阿部は前夜の休息時間に充分に睡眠のとれなかつたため、突然眠気をもよをし前方の注視が散漫な状態となつたのに拘らず、漫然と運転を続けたため、前方駐車中の大型車の発見がおくれてこれを避けることができず、追突し本件事故を惹起したことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

右事実によると、確かに原告正隆は本件事故車の正運転手でしかも本件事故発生当時は助手席に坐して仮眠していたものであるが、(この点当事者間に争いがない)、しかしこの仮眠は被告浪速運送の本件運行の計画からして、自己の当番における安全運転に備えてせねばならない仮眠であつたと解しうるから特に担当の運転者から要請があるなど特段の事情の認められない限り、右仮眠を続けることは許されたものである。したがつて、右特段の事情の認められない本件については、原告正隆は自賠法三条の保護を受けてしかるべき地位にあるから、同条にいわゆる「他人」に該るものといわざるをえず、右認定に抵触する証人長井謙一の供述部分は前記認定に照らして措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠もない。

よつて、原告正隆が民法七一五条所定の第三者にあたるか否かにつき判断するまでもなく、被告浪速運送は、原告らに対し自賠法三条に基づき原告らが本件事故によつて蒙つた損害を賠償すべき義務がある。

四、(過失相殺)

〔証拠略〕によると、被告阿部は、本件事故の直前に眠気におそわれ運転に危険な状態となつたのに原告正隆に対し運転を交替するなどの要請をしないのみか、自からも運転を一時停止するなど事故防止の方法もとらず、漫然と運転を続けたことを認めることができ、右事実と前記の認定事実によると、原告が本件事故当時仮眠を続けていたことにつき、同人には何らの義務違反もないと解すべきであり、したがつて、この点につき本件事故発生に同人の過失があると認めることはできない。他に全証拠によるも原告正隆に過失があると認めることはできないから、被告両名の過失相殺の主張はいずれも採用し難い。

五、(損害)

(一)  〔証拠略〕によると、原告正隆は、本件事故による受傷後直ちに最寄りの鳥取県倉吉市内の厚生病院に入院治療し、昭和三九年一〇月九日に尼崎市所在の関西労災病院に転院治療したが、第七胸髄節以下の運動および知覚麻痺、直腸および膀胱障碍ならびに両下肢の自動運動の完全欠損の後遺症を生じ、全く回復の見込のないところから一旦同四〇年一二月一七日右病院を退院して父母の下に帰郷しその看護を受けていたが、一週間程して食慾を失い発熱したため直方市所在の西尾病院に入院し、同病院の紹介で同四一年三月一〇日北九州労災病院に転院し治療を受けているが前記後遺症のため社会復帰は殆ど不可能で、その身体障碍の程度は労働基準法施行規則の別表第二の身体障碍等級第一級に該当し、食事用便など日常生活に必要な行為についてさえ他人の看護附添を必要とする状態にあり、しかも前記傷害の結果右腎臓の機能が完全に停止し、片方の左腎臓の有効な活動が生存上必要になつているのに左腎臓もその後の病状から尿管の逆流現象を生じて肥大し、治療の結果現在一応平静を保つてはいるもののその平癒の見透しはなく、常に生命の危険にさらされ、一生医療機関と手を切ることのできない状況下に置かされていることを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

(二)  原告正隆の喪失利益

(1)  〔証拠略〕によると、原告正隆は、昭和一五年一一月二三日の生れで本件事故当時は被告浪速運送の自動車運転手として就労し、平均賃金として日額金一〇八五円の給与を受けており、本件事故に遭遇しなかつたら同人は少くとも満六〇歳まで約三六年間は右会社若しくは同種会社に自動車運転者として就労して少くとも前記同額の賃金を毎月受領していたであろうことを認めることができる。

(2)  ところが、原告訴訟代理人は本件事故による喪失利益の算出方法として、同人の労働者災害補償保険法に基づく休業補償などの給付を控除し残額のみを請求するので以下この主張に従つて検討する。

(イ) 昭和三九年八月二七日から同四二年九月三〇日までの間の喪失額

〔証拠略〕によると、原告正隆は右期間に休業補償給付として合計金七三万一七二四円を受給し、また、右金額は同原告の得べかりし給与額の六〇パーセントにあたることを認めることができるから、右支給額を控除した残りの四〇パーセントが同原告の右期間に失つた利益となり、その計算は次のとおりとなる。

73万1724円×40/60=48万7815円

(ロ) 昭和四二年一〇月一日から原告正隆の満六〇歳になるまでの間の喪失利益

原告正隆は前記のとおり昭和一五年一一月二三日の生れであるから、昭和四二年一〇月一日において年令二六歳一〇月となり、満六〇歳までの就労可能年数は後三三年二ケ月となるところ、〔証拠略〕によると、原告正隆に昭和四二年一〇月一日以降は長期傷病補償給付年金などとして年額二八万五二三八円を受給することとなつていることを認めることができる。したがつて、同原告の一年間の得べかりし平均賃料三九万六〇二五円(日給一〇八五円の一年分)から前記年金を控除すると残額は金一一万〇八八七円となり、これが同原告の一年間に失う額となり、右額の三三年分の喪失額につき年五分の割合による中間利息を控除して、昭和四〇年一〇月一日における現価を求めると少くとも原告主張の金一三一万四一四〇円になる。

(三)  原告正隆の慰藉料

前記認定の本件事故の態様、原告正隆の蒙つた被害の程度、同原告の年令、後遺症の程度など諸般の事情からして、原告正隆の蒙つた精神的損害は極めて甚大であることを認めることができ、原告正隆に対する慰藉料としては金四〇〇万円が相当である。

(四)  原告輝雄の慰藉料

〔証拠略〕によると、原告輝雄は、自己の長男である原告正隆が本件事故によつて廃人となり、しかも、蒙つた傷害の後遺症によつていつ死亡するやも知れない状況にあることを認めることができ、その他事故の態様等諸般の事情を考慮すると、原告輝雄に対する慰藉料としては金一〇〇万円が相当である。

六、(賠償額の支払)

〔証拠略〕によると、被告阿部は原告正隆に対し、被告阿部主張のとおり合計金九万三〇〇〇円の賠償額の支払をなしたことを認めることができるので、原告正隆の喪失利益額に充当する。

七、(結論)

したがつて、被告阿部健二は民法七〇九条に基づき、また、被告浪速運送は自賠法三条に基づき連帯して、原告正隆に対し喪失利益額金一七〇万八九五六円(前記四の(二)の合計額金一八〇万一九五六円から支払額金九万三〇〇〇円を控除した額)および慰藉料額金四〇〇万円の合計五七〇万八九五六円、原告輝雄に対し慰藉料額金一〇〇万円の各支払義務があり、また、遅延損害金の請求についてはいずれも本訴状送達の翌日から請求しているところ、本件記録によると、本件訴状が被告阿部に送達されたのは昭和四一年九月三〇日、被告浪速運送には同月二九日送達されたことが明らかであるが、前記認容額のうち原告正隆の喪失利益の算定は昭和四三年一〇月一日を基準としてなしているので、これに対する遅延損害金は右期日の翌日から算定すべきであり、しかして、原告正隆に対しては内金四〇〇万円につき、原告輝雄に対しては金一〇〇万円につき、被告浪速運送は本訴状送達の翌日である昭和四一年九月三〇日から、また、被告阿部は本訴状送達の翌日である同年一〇月一日から右完済に至るまで、なお原告正隆に対する残金一七〇万八九五六円につき被告両名は各自昭和四三年一〇月二日から完済まで各民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるといわざるをえない。

よつて、原告輝雄の被告らに対する本訴請求および原告正隆の被告らに対する本訴請求のうち右限度内でいずれも理由があるからこれを認容し、その余の原告正隆の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担については民訴法八九条、九二条、九三条一項但書を、また、仮執行の宣言については同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山口和男)

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